美しさのためにお金をかけるか、努力をかけるか

「美しさのためにお金をかけるか、努力をかけるか」

このタイトルで今年の4月5日に下書きが保存されているものの [1]もうひとつ保存してある下書きは「人民解放軍のミサイル戦略について」。これならば、何を書きたかったのか覚えているのだが・・・、いったい自分が何を言いたかったのか、全く覚えていないので、「お題」だと思って、今考えていることを書いてみようと思います。10年前くらいはホームページやブログで、今はツイッターやPixivでよくあるやつですよ。今回は文章ですけど。

さて、当時(といっても今年だけど)はいざ知らず、今の私は「美しさのためにお金も努力もかけたくない」派。というか、「美しさをお金も努力もかけずに追求したい」派。「追求する」という時点で、努力してんじゃん・・・と思わなくもないですが、とにかく最小の過程で最大限の満足を得たい、という都合のいいものです。

今思えば、「美魔女」とか、そういうのに違和感を覚えてブログを書きかけたのではないか?あの人たちはお金も努力もかけているからね。40歳に見えない40歳は立派なものですが、40歳に見える40歳も立派なものだ。50歳に見える40歳は多分、何かしら(体に)無理をしているのだろうが、それもやっぱり立派なのだ。ただし、享楽的な原因、タバコとかお酒とか暴食とかであれば、立派ではない。結局、ちゃんと生きていれば人はそれなりに立派なものなのです。

ちなみになぜ私がお金も努力もかけたくないか、といえば、一言「面倒だから」。では、なぜ面倒だと考えるかといえば、「別に年相応になるのは悪いことではない」と思っているから。ただ、逆説的というか矛盾しているけれども、走ったりしているし、食べ過ぎた後は節制したりしている。これは結局努力の範疇に入っていないので、面倒ではない。顔を洗った後、化粧品をライン使いで、4ステップぐらい使うのは面倒。でも、顔がつっぱるのは嫌だから、オイルだけは塗る。嫌なことを防ぐのは面倒じゃない。だから、続いているのだと思います。

この観点からすれば、美魔女の類も、私からすれば「お金と努力の浪費」だと思えても、本人やそれを当然と思う人からすれば「努力でもなんでもない」というわけで、まぁ、お金は物質的なものなので、だれがなんと言おうとかかっているかもしれないが [2]とはいえ、相対的なものでもあるので、5万の化粧品に対して「お金がかかった」と考えるか、「安い」と考えるかはやっぱりその人次第、それで本人が幸せならば、私が口を挟むことではないのである。

最後に、例のごとく、池田晶子のお言葉。

だって、生きている限り人は必ず年をとる。人生というのは、年をとっていゆく過程以外なにものでもない。だとすると、年をとることを否定するとは、人生そのものを、反価値として否定することになる。(中略)

だから、若さを価値とし、年をとることを反価値として生きる人の人生は、必ず苦しいものであるはずです。だって、本来不可能なことを遂行しようとしているんだから。自ら反価値としているものを生きることになるんだから。(中略)

年をとることを反価値とするのは、肉体にしか価値を置いていないからです。(中略)だけど、精神の側、心や気持ちや知恵の側を価値とするなら、年をとることはそれ自体で価値になります。なぜなら、年をとるほどに精神は、味わい深く、おいしくなってゆくものだからです。

なるほどね。

References

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1 もうひとつ保存してある下書きは「人民解放軍のミサイル戦略について」。これならば、何を書きたかったのか覚えているのだが・・・
2 とはいえ、相対的なものでもあるので、5万の化粧品に対して「お金がかかった」と考えるか、「安い」と考えるかはやっぱりその人次第

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